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くにたまじんじゃぼんしょう

国魂神社梵鐘

最初に梵鐘を寄進したのは誰でしょうか?

 時代を経ながらたびたび寄進されてきた梵鐘。最初に寄進したのは平昌清で、戦国時代に当地の領主だった窪田山城守でした。梵鐘がある国魂神社を窪田郷の郷社(村落で1番上の神社)として崇めたと言います。
 のちの天明元年(1781)、平の鋳物師によって鋳造された梵鐘が寄進されました。
 スッキリとした大文字の陽鋳技法は、梵鐘の外型を作る際に文字を彫り込む技法で、高い技術が必要になります。この梵鐘は、工芸力の高さを表すものとして認められています。

解説

 この梵鐘の池の間第1区には「国玉」、外の池の間には1字ずつ「大・明・神」と大文字を陽鋳し、次の銘文が彫ってある。
 御神慮照覧在前 右為現当両益也 銘文曰 諸行無常 是生滅法 生滅々己 寂滅為楽
 国玉大明神 奉鎔鋳
 東山道陸奥菊多郡窪田 国玉大明神御神前推鋳 于茲 往昔大旦那 平朝臣昌清
 大永元年壬午鋳建草創也 貞享四丁卯赤津氏光寛 弁能住再興肆亦建破廃
 村隣受助志諗建願成就 于時 天明元年歳次辛丑十一月之吉 施徳院 覚弁代
 願主隠居竪者法印義弁敬白 同国岩城平住 大工職鋳物師椎名浅右衛門藤原義雅
 銘文によると、最初の梵鐘は大永元年(1521)平昌清が寄進し、ついで貞享4年(1687)に赤津光寛によって再び寄進された。その後、約100年を経てこの鐘も破損したため、天明元年(1781)11月、別当施徳院覚弁の時、法印義弁が願主となり、近村有志の寄付を求めて、平の鋳物師・椎名浅右衛門義雅に造らせ寄進したものである。椎名家では近世初期以降、平梅香町で鋳物職を営んでいた。なお平昌清とは、戦国時代にこの地の領主であった窪田山城守のことである。
 椎名家の作品としては、石森観音堂鰐口(市指定)、川中子旧成福院梵鐘(県指定)、浄光院梵鐘(市指定)に次ぐ作品であり、大文字の陽鋳技法は、成福院梵鐘の浮彫陽鋳から技術的系譜を引くもので、当代の工芸水準を示す作品として評価される。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(工芸品)
住所
いわき市勿来町窪田馬場
施設名
国魂神社
指定年月日
昭和57年3月16日

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