もくぞうあみだにょらいりゅうぞう(きゅうしゅうみょういんあみだどうほんぞん)
木造阿弥陀如来立像(旧秀明院阿弥陀堂本尊)
朱漆書から分かる仏像制作の背景とは?
一本の木から彫りだす一木造りの仏像です。仏像としては、64㎝弱とやや小ぶり。
瞳などは墨で描かれ、右手を前に出し、左手は垂らして、蓮の台座に両足をそろえて立つその姿は素朴でありながら、凛とした雰囲気を醸し出しています。
「定朝作」という朱漆書きから、平安時代京都の有名な仏師の系譜を受け継いで彫られたと考えられています。また、彩色は江戸から来た職人集団の手によるものだそう。一体の仏像から、色々なことが分かるのもまた面白いですね。
瞳などは墨で描かれ、右手を前に出し、左手は垂らして、蓮の台座に両足をそろえて立つその姿は素朴でありながら、凛とした雰囲気を醸し出しています。
「定朝作」という朱漆書きから、平安時代京都の有名な仏師の系譜を受け継いで彫られたと考えられています。また、彩色は江戸から来た職人集団の手によるものだそう。一体の仏像から、色々なことが分かるのもまた面白いですね。
解説
像高は63.6㎝で、一木造り。材質はカツラ材と考えられている。形状は、螺髪が旋毛状に彫り出され、覆肩衣をまとい、裳を着けている。左手は垂らして軽く曲げ、右手は肘を曲げた状態で前に出し、両足をそろえて蓮華座に立っている。両目の瞳や鬚などは墨描きで、白眼は胡粉で彩られている。素朴な造形ではあるが、衣の彫り方には伸びやかさがあり、形式にとらわれない表現が特色である。
背面には朱書および朱漆銘が施されており、天文20年(1551)11月吉日に弘喜によって制作されたこと、貞享元年(1684)5月14日に補修が行われたことが分かる。朱漆書きに「重彩」とあることから、貞享以前から彩色が施されていたと思われる。また、朱漆書きには「定朝作」とある。定朝は平安時代中期に活躍した代表的な京都の仏師で、この像が定朝の正統な系譜を継いでいることを主張するために書かれたものと思われる。
棟札には、貞享元年に秀明院の阿弥陀堂を再興したことが記されており、彩色を担当したのは江戸から来た彩色職人集団だったという。仏像の朱漆書き時期と同じため、仏像の彩色もこの職人集団が担当したと思われる。
在地の作仏であるが、像の成立した背景や受け継がれてきた一木造りの技法、江戸との技術交流などが分かる点で、歴史資料として重要である。
背面には朱書および朱漆銘が施されており、天文20年(1551)11月吉日に弘喜によって制作されたこと、貞享元年(1684)5月14日に補修が行われたことが分かる。朱漆書きに「重彩」とあることから、貞享以前から彩色が施されていたと思われる。また、朱漆書きには「定朝作」とある。定朝は平安時代中期に活躍した代表的な京都の仏師で、この像が定朝の正統な系譜を継いでいることを主張するために書かれたものと思われる。
棟札には、貞享元年に秀明院の阿弥陀堂を再興したことが記されており、彩色を担当したのは江戸から来た彩色職人集団だったという。仏像の朱漆書き時期と同じため、仏像の彩色もこの職人集団が担当したと思われる。
在地の作仏であるが、像の成立した背景や受け継がれてきた一木造りの技法、江戸との技術交流などが分かる点で、歴史資料として重要である。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(彫刻)
- 住所
- いわき市小名浜字古湊
- 施設名
- 浄光院
- 指定年月日
- 平成30年5月1日