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ちょうふくじ ほんどう

長福寺 本堂

本堂の造りでいわきでは数少ない特徴は何でしょうか?

 長福寺は中世から奥州における真言律宗の中心道場として栄えたお寺で、現在の建物は正保年間(1644〜48)に再建されたものです。
 本堂は、比較的床が高く、いわきでは数少ない入側縁をもっており、建築様式は和様を主体として部分的に禅宗様式を取り入れています。
 表は非常に落ち着いた雰囲気ですが、ご本尊が安置されている堂内は打って変わってきらびやか。内陣は赤く塗られ、左右に分かれた大きな来迎柱も赤く塗られ、上部には赤い唐獅子の木鼻が付けられています。
 堂内左右の引き戸にはさまざまな絵が描かれ、こちらも見応え十分。かつては本堂以下15棟の建物と広大な境内地が広がっていたようですから、その一端を本堂から感じることができそうです。

解説

 長福寺は真言律宗奈良西大寺の末寺で、元亨2年(1322)小川人道義綱が鎌倉極楽寺から慈雲和尚を招いて開山したと伝える。中世から奥州における真言律宗の中心道場として栄え、岩城家代々の帰依をうけ、江戸期には40石の御朱印寺であった。寛政2年(1790)の寺絵図には本堂以下15棟の建物が描かれ、25,000坪の広大な寺域と伽藍があった。本堂は度々の焼失後、正保年間(1644~48)に十二世清胤和尚によって再建されたという。
 木造平家建平瓦葺きの入母屋造り(以前は茅葺き寄棟造り)で、本堂形態に結界で、両脇間と前面に入側縁、右側に書院と広縁をつけたす。脇間には木造興正菩薩坐像(市指定)が安置されている。内陣三間取中央には来迎柱と須弥壇を備え、出三斗と間斗束で絵様折上げ格天井を支えており、本尊である木造地蔵菩薩坐像(国指定)が安置されている。なお、来迎柱には朱塗の唐獅子の木鼻が付けられている。左側廂は位牌堂、物置、興正菩薩堂に分けているが、これは上段の間、次の間と共に後世の改造である。床は拭板敷で三方に畳1列を敷く。右三間通りは畳敷きの大広間、奥に上段の間・次の間あり、天井は棹縁天井とする。脇の間は正面に竹の節欄間が付けられ、入側柱から身舎稚児柱方に化粧垂木が立ち登り、象木鼻と海老虹梁で繋ぐ。柱は面取角柱で、木鼻付き頭貫と虹梁が架けられている。
 全体的に改修が進められてきた建物であるが、いわきに数少ない本堂形態を残している江戸時代の貴重な建物である。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(建造物)
住所
いわき市小川町下小川上ノ台
施設名
長福寺
指定年月日
平成4年3月27日

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