きゅういがりけじゅうたく
旧猪狩家住宅
梁に何か結ばれています。何が結ばれているのでしょうか?
明治12年(1879)に建てられた住宅で、詩集『移住民』(銅鑼社)の著者である、いわき市の詩人猪狩満直の生家として知られています。
中の間の壁には、木札がずらっと並べられていますが、これは平藩の御門に出入りするためのもので、平藩とやりとりがあったことを表しています。またここの梁にぐるぐると巻き付けられている縄は、新年を迎えるたびに結ばれる年神様の縄で、当時の風習を知る貴重なものとなっています。
中の間の壁には、木札がずらっと並べられていますが、これは平藩の御門に出入りするためのもので、平藩とやりとりがあったことを表しています。またここの梁にぐるぐると巻き付けられている縄は、新年を迎えるたびに結ばれる年神様の縄で、当時の風習を知る貴重なものとなっています。
解説
この住宅は、明治12年(1879)猪狩新治郎が35歳の時に平北目町の大工棟梁・鈴木新吉によって建築された。もとは好間町川中子地内に建てられていたが、平成8年、いわき市暮らしの伝承郷へ移築復元された。
猪狩家には、平藩御門通札の木札が残されており、平藩に関係していたことがわかる。この建物の構造材の梁等は、お城山から切り出し、欅材の恵比須・大黒柱は赤井嶽から運んだと伝わる。また、現存している土蔵の屋根には、平城に使われていた屋根瓦が転用されている。
建築の計画には細部にわたって新しい工夫のあとが見られる。まず、広間と中の間が区切られていること、北側板の間から外部に掃き出しが付くこと、広間の勝手側空間が大きく、広間の炉の煙出が折上の堅板透かし天井になっていること、さらに土間からの上り口は南側の雨戸の引き込みに便利なように斜めに広げてあるなど、直屋平入り広間型三間取りの変形で、浜通り地方によくみられる開放的な住居である。
本家屋には、創建以来新年を迎えるごとに梁に結ばれた年神の縄が残されており、民俗学的にも貴重な資料である。また、いわきの詩人猪狩満直の生家として、文学史上からも特筆すべき家屋である。
猪狩家には、平藩御門通札の木札が残されており、平藩に関係していたことがわかる。この建物の構造材の梁等は、お城山から切り出し、欅材の恵比須・大黒柱は赤井嶽から運んだと伝わる。また、現存している土蔵の屋根には、平城に使われていた屋根瓦が転用されている。
建築の計画には細部にわたって新しい工夫のあとが見られる。まず、広間と中の間が区切られていること、北側板の間から外部に掃き出しが付くこと、広間の勝手側空間が大きく、広間の炉の煙出が折上の堅板透かし天井になっていること、さらに土間からの上り口は南側の雨戸の引き込みに便利なように斜めに広げてあるなど、直屋平入り広間型三間取りの変形で、浜通り地方によくみられる開放的な住居である。
本家屋には、創建以来新年を迎えるごとに梁に結ばれた年神の縄が残されており、民俗学的にも貴重な資料である。また、いわきの詩人猪狩満直の生家として、文学史上からも特筆すべき家屋である。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(建造物)
- 住所
- いわき市鹿島町下矢田散野14-16
- 施設名
- いわき市暮らしの伝承郷
- 指定年月日
- 平成8年7月19日