旧樋口家住宅
この家ではどんな仕事をしていた?
解説
この住宅は、寄棟造りの茅葺き屋根の住宅で、もとは遠野町入遠野字中野地内に所在しており、樋口家が昭和61年(1986)まで暮らしていた。生業は、当地方特有の和紙の生産をしていた。
創建年代は、棟札等の資料が無く明らかではないが、樋口家の口伝などから19世紀前半と推定される。当時、棚倉藩領だったこの地方の製紙産業は有名であった。天明8年(1788)幕府の巡検使に随行した古川古松軒 が著した『東遊雑記』の中で「この辺の民家少し宜し」と書かれた所の民家であると考えられ、製紙産業によってその暮らしぶりは良かったと推測される。
土間には、竈 と和紙の原料・楮 を煮るための楮竈、さらに竈柱が建つ。建物の規模は小ぶりだが、大きな改造が少なかったのは、住居としての完成度が高かったためと思われる。平成19年(2007)4月6日に福島県の重要文化財に指定された。
創建年代は、棟札等の資料が無く明らかではないが、樋口家の口伝などから19世紀前半と推定される。当時、棚倉藩領だったこの地方の製紙産業は有名であった。天明8年(1788)幕府の巡検使に随行した
土間には、
この住宅は、寄棟造りの茅葺き屋根の住宅で、もとは遠野町入遠野字中野地内に所在しており、樋口家が昭和61年(1986)まで暮らしていた。生業は、当地方特有の和紙の生産をしていた。
創建年代は、棟札等の資料が無く明らかではないが、樋口家の口伝などから19世紀前半と推定される。当時、棚倉藩領だったこの地方の製紙産業は有名であった。天明8年(1788)幕府の巡検使に随行した古川古松軒が著した『東遊雑記』の中で「この辺の民家少し宜し」と書かれた所の民家であると考えられ、製紙産業によってその暮らしぶりは良かったと推測される。
土間には、竈と和紙の原料・楮を煮るための楮竈、さらに竈柱が建つ。建物の規模は小ぶりだが、大きな改造が少なかったのは、住居としての完成度が高かったためと思われる。平成19年(2007)4月6日に福島県の重要文化財に指定された。
創建年代は、棟札等の資料が無く明らかではないが、樋口家の口伝などから19世紀前半と推定される。当時、棚倉藩領だったこの地方の製紙産業は有名であった。天明8年(1788)幕府の巡検使に随行した古川古松軒が著した『東遊雑記』の中で「この辺の民家少し宜し」と書かれた所の民家であると考えられ、製紙産業によってその暮らしぶりは良かったと推測される。
土間には、竈と和紙の原料・楮を煮るための楮竈、さらに竈柱が建つ。建物の規模は小ぶりだが、大きな改造が少なかったのは、住居としての完成度が高かったためと思われる。平成19年(2007)4月6日に福島県の重要文化財に指定された。
- 住所
- いわき市鹿島町下矢田散野14-16
- 施設名
- いわき市暮らしの伝承郷