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こんこうじもくぞうほうきょういんとう

金光寺木造宝篋印塔

使われていたことがわかるものが残っていました。何でしょうか?

 通常、宝篋印塔は石で作られることが多く、木造で作られるのは非常に珍しいとされます。それも作られたのが文保年間(1317〜1319)と非常に古いにも関わらず、この残りの良さ。大切にされてきたことがわかります。
 特徴的なのが一対であること。片方が追善、もう片方が逆修となります。追善とは死者をとむらうための供養であり、逆修とは生きているうちに自分のためにあらかじめ供養を行うことを言います。一般的には、夫が亡くなった際に追善として宝篋印塔を作り、同じように妻も自分の供養のために生前ではあるけれど、対になる宝篋印塔を納めたと考えられます。
 逆修塔の内部には線香をお供えした跡が残っており、これは実際に塔が使われていた証と言えるでしょう。
 夫婦の温かな思いを形にした木造宝篋印塔は、見る人の心も温かくしてくれる気がします。

解説

 木造の宝篋印塔は殆ど残存していない。塔の歴史はインドにおける墳墓、ストーパに始まり、我が国では釈迦の舎利を安置する目的で伽藍の中心にあったものが、徐々に象徴的存在として小型の石造塔が造られるようになる。小型の石造塔は供養塔、墓塔、納経塔として境内の一隅などに建てられた。
 本塔は相輪の受花を仏像の蓮台風に仕上げている点、宝輪をひとつずつ彫り込んでいる点、隅飾を板状に仕上げている点など、石造塔にない形状が見られることから、それ以前の古い造立であると判断し得る。塔の最下部正面基礎部分に文保(1317~1319)の文字が読めることから、この時代の作品と思われる。
 2基の由来や沿革は解っていないが、「逆修善根塔」と「尼」という文字が彫られていることから、一対で制作されたものと考えるのが妥当である。片方を追善、もう片方を逆修とし、夫が亡くなり追善供養時に妻が自身の逆修供養を行ったと考えるのが一般的である。
 塔身に胎蔵界四仏の種子(梵字)を薬研彫り(彫り込んだ断面がV字型)している。種子には漆が塗られた痕跡があり、造立当時は箔押しが施されていた可能性がある。塔身上部から平方の奉納孔が穿たれており、内部で広がっている。逆修塔内部には灰と線香屑が残っている。笠の隅飾が笠上面階段部分の四隅を囲うように板状を呈している。笠部分は軒下3段、上5段で、その上に円形の低い伏鉢があり、相輪はホゾにより伏鉢上に立てる構造となっている。宝輪が六輪と不規則であるが、古い塔ほど数が定まっていないものが多く、球体に近い最上部の宝珠の形状などからも、造立時期の古さが読み取れる。
指定区分
県指定
種別
重要文化財(建造物)
住所
いわき市鹿島町久保西ノ作
施設名
金光寺
指定年月日
平成27年5月1日

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