どうせいみしょうたい
銅製御正体
愛らしい仏像はなんという菩薩でしょうか?
あらー、これはかわいらしい仏様だこと。と声がもれてしまうぐらい素朴で温かい雰囲気の仏像が中央に置かれた、銅製の御正体です。御正体とは神様の体、つまり御神体である鏡に、仏様の姿を描いたりかたどったりしたもので、祈りの対象となるものを言います。これには「神仏習合」の考え方が反映されているのですが、この銅製御正体も諏訪神社の宝前にかけられていました。
ではこの仏様はどなたでしょうか。諏訪明神の本来の姿は仏様だという考え方があり、その仏様が普賢菩薩と考えられます。ですが、宝冠を見るとその特徴から十一面観音の可能性もあるようです。いずれにしても、優しいお顔の菩薩は人々に愛されたのではないでしょうか。また、そのとなりに置かれた花びんと花の可愛らしいこと!
いろいろな見方はあるでしょうが、見る人の心をほわっと温かくしてくれます。
ではこの仏様はどなたでしょうか。諏訪明神の本来の姿は仏様だという考え方があり、その仏様が普賢菩薩と考えられます。ですが、宝冠を見るとその特徴から十一面観音の可能性もあるようです。いずれにしても、優しいお顔の菩薩は人々に愛されたのではないでしょうか。また、そのとなりに置かれた花びんと花の可愛らしいこと!
いろいろな見方はあるでしょうが、見る人の心をほわっと温かくしてくれます。
解説
諏訪神社の宝前に掛けられた鋳銅製の御正体で、上部の左右に環座がある。鏡板には外周と内周に2条の重圏があって銘帯を形成し、上下左右の4ヵ所には3個の珠文がある。中央には宝冠をいただき、合掌して蓮台に坐した仏像がある。諏訪明神の本地仏の普賢菩薩と思われるが、宝冠をみると十一面観音とも思われる。
像の左には花をさした花瓶があり、裏面には次の刻銘がある。
奉懸奥刕岩城之郡豊間之 敬白 塩家
取訪大名神御宝前御正躰 本願大峯大支新伊守久吉
大且那志賀右衛門尉 小大支吉広
助力之且那大工重吉
遠藤三郎兵衛 永禄九年丙刀十二月十三日
銘文の取訪は「諏訪」、新伊守は「紀伊守」、大支は「大夫」の誤りと思われる。本願の大峯大夫は、現宮司大峯家の先祖である。大且那志賀氏は岩城家の執事(家老)であった。
作者については、銘文からみると、今は失われたが飯野八幡宮銅鐘は天文20年(1551)「鋳工対馬守重善」の作、諏訪神社御正体は永禄9年(1566)「大工重吉」の作、また石川郡玉川村都々古別神社鰐口は天正9年(1581)「岩城之大工重吉之作」、同社御正体は天正10年「岩城大工長山対馬守重吉造之」の銘があり、これらはいずれも「しげよし」と読むことから、同一人か同系統の作者と考えられる。
御正体の作柄は上手とはいえないが、磐城の鋳工の作になるもので、銘文のもつ資料的価値は高い。
像の左には花をさした花瓶があり、裏面には次の刻銘がある。
奉懸奥刕岩城之郡豊間之 敬白 塩家
取訪大名神御宝前御正躰 本願大峯大支新伊守久吉
大且那志賀右衛門尉 小大支吉広
助力之且那大工重吉
遠藤三郎兵衛 永禄九年丙刀十二月十三日
銘文の取訪は「諏訪」、新伊守は「紀伊守」、大支は「大夫」の誤りと思われる。本願の大峯大夫は、現宮司大峯家の先祖である。大且那志賀氏は岩城家の執事(家老)であった。
作者については、銘文からみると、今は失われたが飯野八幡宮銅鐘は天文20年(1551)「鋳工対馬守重善」の作、諏訪神社御正体は永禄9年(1566)「大工重吉」の作、また石川郡玉川村都々古別神社鰐口は天正9年(1581)「岩城之大工重吉之作」、同社御正体は天正10年「岩城大工長山対馬守重吉造之」の銘があり、これらはいずれも「しげよし」と読むことから、同一人か同系統の作者と考えられる。
御正体の作柄は上手とはいえないが、磐城の鋳工の作になるもので、銘文のもつ資料的価値は高い。
- 指定区分
- 県指定
- 種別
- 重要文化財(工芸品)
- 住所
- いわき市平豊間字下ノ内
- 施設名
- 諏訪神社
- 指定年月日
- 昭和38年3月20日