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じょうこういんぼんしょう

浄光院梵鐘

梵鐘の胴部に施された梵字があります。どんな文字でしょうか?

 江戸時代の俳人・内藤政栄がえらんだ「小浜浜八景」のひとつ、「虎山の晩鐘」の景勝地として知られる浄光院に置かれた梵鐘です。延享5年(1748)に造られ、現在も時を知らせる鐘として住職によって欠かさず鳴らされていますが、それは江戸時代から連綿と続いてきたと言います。
 この梵鐘ですが、鐘の中央部に立派な梵字(ぼんじ)が刻まれています。それもひとつではなく、それぞれの区画に違う仏さまの梵字があるのです。梵字の刻まれた鐘を鳴らすことで、仏さまのご利益を町中に行き渡らせようとしていたのかも、と想像してしまいます。

解説

 この梵鐘は延享5年(1748)に、磐城平梅香町の椎名久兵衛国光によって鋳造された。鐘銘により、さきに寛文年間に鋳造された古鐘があり、元禄年間には時鐘として時を知らせていたが、その鐘が破損したので改鋳したことが知られる。鐘には「一折鐘聲 當願衆生 脱三界苦 得見菩提」の願文と、小名浜4カ村の名主と寄進者名に加えて、小名浜代官・竹垣治部右衛門と代官所詰役人の名が刻まれている。延享4年(1747)に成立した幕領小名浜代官所の記録は、散逸して残存するものが少ないが、この刻銘はその欠を補うものとして貴重である。
 梵鐘の池の間に鋳られた双鉤体の梵字の大きさと端正さは、見るべきものがある。第1区には■(ボロン)(一字金輪仏)、第2区■(カンマン)(不動明王)■(アク)(不空成就如来)、第3区■(キリク)(阿弥陀如来)■(タラク)(宝生如来)、第4区■(ウン)( 阿閦如来)■(ハン)(金剛界大日如来)が陽鋳されている。全体として作行きも良く、当時の工芸水準を示す作品である。江戸期の鋳造銘を有するものとして、市内で最大の梵鐘である。
 梵鐘の所在する浄光院は、磐城平藩・内藤家時代の小名浜御殿に隣接しており、この地をしばしば訪れて吟行した内藤露沾が撰んだ「小名浜八景」のひとつ、「虎山の晩鐘」の景勝地として広く知られ、俳句や漢詩にもとり上げられている。
 江戸時代には鐘撞き道心もおり、時鐘として連綿と続いてきたその役割は今もなお受け継がれており、まさに地域に根ざした存在となっている。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(工芸品)
住所
いわき市小名浜古湊
施設名
浄光院
指定年月日
平成6年3月25日

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