facebook twitter instagram Line
もくぞうじぞうぼさつざぞう

木造地蔵菩薩坐像

衣に花があしらわれています。何の花でしょうか?

 なんだかどっしりとして、頼りになりそう。そんな思いを抱かせる木造の地蔵菩薩坐像です。
 地蔵菩薩は、釈迦が亡くなったあと56億7000万年後に弥勒菩薩が現れるまでの間、六道に存在する人々を救ったと考えられています。六道とは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上の6つの世界を表し、地蔵菩薩は地獄をさまよう人さえも救う役割を持っているのです。だからこんなに頼もしいお姿をしているのかと想像してしまいます。
 この地蔵菩薩坐像は寄木造りで彩色がされていて、特に衣の小さな菊の花の模様に目を見張ります。かわいらしい上に気品を備えたすそがゆったりと垂れ下がり、美しいドレープをえがいています。

解説

 小川山長福寺は真言律宗に属する西大寺の末寺で、元亨2年(1322)に小河義綱の帰依により、鎌倉極楽寺内地蔵院の慈雲和尚によって開山されたといわれる。奥州における真言律宗の中心道場であったが、その後、慶長8年(1603)、同14年・同15年と3度の火災により、7堂7院12坊がことごとく炎上して衰退したといわれている。
 地蔵菩薩は釈迦入滅ののち、弥勒仏が56億7000万年ののちに出現するまでの間、すなわち無仏のときに出現し、六道の衆生を救済する菩薩であるといわれている。六道済度のために6つの分身を作り、六地蔵として崇敬されている。
 この長福寺の本尊である地蔵菩薩坐像は、寄木造りで彩色が施されており、眼は玉眼で、左手に宝珠、右手に錫杖をもち、六地蔵中の大定慈悲の形に造られている。尊顔は髪際線が額中央で下方にカーブし、切れ長の伏せ眼、きりりと結んだ口唇、張りのある紐耳をしている。衣全面に大きな菊花の土紋がみられる。土紋とは、粘土を花や葉の雌型に入れて厚手に作った文様である。また、裳裾先が反転して垂下する垂下様式をとっている。
 このような彫刻様式は、中国宋朝後期の影響を受けた鎌倉末期から、室町初期にかけての特色をもつものである。おそらく鎌倉極楽寺との関係から、極楽寺より贈られたものと思われるが、面相や造りは、鎌倉円覚寺塔頭伝宗庵の地蔵菩薩坐像(鎌倉末期~南北朝時代、国指定)に類似するところがある。
指定区分
国指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市小川町下小川上ノ台
施設名
長福寺
指定年月日
平成25年6月19日

その他の高精細コンテンツ

TOP