えまひきうまず
絵馬引馬図
神の依代である神馬。元は絵馬でなくどんな馬を奉納していたでしょうか?
「おっとっと」「あ、脚あげないで〜」という声が聞こえてきそうな2人の従者に手綱を引かれた神馬の絵馬で、生き生きとした神馬と従者の表情をはっきりと見て取ることができます。
神馬のくらに描かれた紋様や従者たちのあごひげなど非常に細やかに描かれています。また、金具部分に「下り藤」が見られることから、磐城平藩主・内藤氏によって寄進された絵馬であることがわかっています。金具を見ただけでだれが寄進者なのかわかるようにしているところが、なんともにくい気がします。
絵馬は元々生きた馬を奉納していましたが、時代が移り変わると描いた馬を奉納するようになりました。
神馬のくらに描かれた紋様や従者たちのあごひげなど非常に細やかに描かれています。また、金具部分に「下り藤」が見られることから、磐城平藩主・内藤氏によって寄進された絵馬であることがわかっています。金具を見ただけでだれが寄進者なのかわかるようにしているところが、なんともにくい気がします。
絵馬は元々生きた馬を奉納していましたが、時代が移り変わると描いた馬を奉納するようになりました。
解説
唐破風型の金銅製の縁金具をつけた板額に、板面の下地は金箔が押されている。彩色仕上げをしたもので、2人の舎人が1頭の神馬を引く図が描かれている。黒駒は躍動し、轡をとる舎人、手綱をとる舎人の顔と衣文や姿態の描写に生彩があり、鞍の文様や彩色が華麗である。惜しまれるのは、下地の金箔の大部分が剥落していることである。
絵師は不明であるが、作風からみて狩野派の画人の作と思われる。
この絵馬の縁金具に「下り藤」の紋所が施されているところから、磐城平藩主の内藤氏が奉納したものであることがわかる。
この絵馬が奉納された寛永20年(1643)頃は、幕府の施策もほぼ整って政治も安定し、一般に神社・仏閣の創建、再建の機運が高まっていたときである。
絵馬は元来生き馬の奉納からはじまり、木造の馬や漆塗り木馬を経て、描き馬を奉納するようになった。
この絵馬は、神の依代としての神馬を描いたもので、絵馬の本流を示すものである。
絵師は不明であるが、作風からみて狩野派の画人の作と思われる。
この絵馬の縁金具に「下り藤」の紋所が施されているところから、磐城平藩主の内藤氏が奉納したものであることがわかる。
この絵馬が奉納された寛永20年(1643)頃は、幕府の施策もほぼ整って政治も安定し、一般に神社・仏閣の創建、再建の機運が高まっていたときである。
絵馬は元来生き馬の奉納からはじまり、木造の馬や漆塗り木馬を経て、描き馬を奉納するようになった。
この絵馬は、神の依代としての神馬を描いたもので、絵馬の本流を示すものである。
- 指定区分
- 県指定
- 種別
- 重要有形民俗文化財
- 住所
- いわき市平字八幡小路
- 施設名
- 飯野八幡宮
- 指定年月日
- 昭和55年3月28日