みなもとのためとものずがく
源為朝の図額
源為朝と鬼が引っ張り合い?どうしてそんなことをしているのでしょうか?
とにかくつややかな絵馬に見とれてしまいます。
ここに描かれているのは波打ち際に立つ源為朝と2人の鬼。よく見ると両者の間には立派な弓があり、鬼が必死の形相で弦を引っ張っています。そして為朝の表情にも注目。口はへの字に曲がり鼻の穴は大きく開いて、気合がみなぎっているように見えます。
実はこれ、子供の疱瘡(ほうそう、伝染病の一種のこと)除けに使われる題材で、力競いをしている様子を絵馬にしているのです。為朝のような強い人は、百鬼をも打ち払ってくれるという意味だと考えられています。
迫力に満ちた為朝の姿は、浮世絵の一派・勝川派の特色をうまく表現していて、浮世絵の絵馬としてこの地方では貴重なものといえます。
ここに描かれているのは波打ち際に立つ源為朝と2人の鬼。よく見ると両者の間には立派な弓があり、鬼が必死の形相で弦を引っ張っています。そして為朝の表情にも注目。口はへの字に曲がり鼻の穴は大きく開いて、気合がみなぎっているように見えます。
実はこれ、子供の疱瘡(ほうそう、伝染病の一種のこと)除けに使われる題材で、力競いをしている様子を絵馬にしているのです。為朝のような強い人は、百鬼をも打ち払ってくれるという意味だと考えられています。
迫力に満ちた為朝の姿は、浮世絵の一派・勝川派の特色をうまく表現していて、浮世絵の絵馬としてこの地方では貴重なものといえます。
解説
上部が屋根形の板額で、杉板を3枚合わせたものである。これに極彩色をもって、波打ち際に立つ為朝と、その弓の弦を張った2匹の鬼が描かれている。その銘に「奉掛御広前 所願成就処勝川春清画 干時安永六丁酉歳十二月吉辰 願主薄磯浜正井善平」と記され、安永6年(1777)12月、薄磯浜(平薄磯)の正井善平の依頼により、勝川春清が描いたものであることがわかる。
奈良地方では、子供の疱瘡よけに用いられる絵馬に為朝が登場する。弓を突き出した為朝と、その弓の弦を引っ張ってうなっている鬼の、いわゆる力競いの図である。為朝のような豪勇な人は、百鬼をも打ち払ってくれるという意昧と思われる。
絵師勝川春清は、浮世絵の一派勝川派を開いた勝川春章の門弟で、作品の少ない絵師である。本絵馬は、師春章の画法を良くとらえ、誇張された表現は顔の隈とりを力強く描いており、四肢の表現などに芝居画としての勝川派の特色をあらわしている。浮世絵の絵馬として、当地方では珍しい存在である。
奈良地方では、子供の疱瘡よけに用いられる絵馬に為朝が登場する。弓を突き出した為朝と、その弓の弦を引っ張ってうなっている鬼の、いわゆる力競いの図である。為朝のような豪勇な人は、百鬼をも打ち払ってくれるという意昧と思われる。
絵師勝川春清は、浮世絵の一派勝川派を開いた勝川春章の門弟で、作品の少ない絵師である。本絵馬は、師春章の画法を良くとらえ、誇張された表現は顔の隈とりを力強く描いており、四肢の表現などに芝居画としての勝川派の特色をあらわしている。浮世絵の絵馬として、当地方では珍しい存在である。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(絵画)
- 住所
- いわき市平字八幡小路
- 施設名
- 飯野八幡宮
- 指定年月日
- 昭和52年5月4日