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もくぞうしゃかにょらいざぞうおよびあなんそんじゃりゅうぞう・かしょうそんじゃりゅうぞう

木造釈迦如来坐像及び阿難尊者立像・迦葉尊者立像

釈迦の一番弟子がいます。どちらでしょうか?

 中央の釈迦如来像は、顔、胸、手などに光り輝く金箔がきれいに残されていて、仏像が発光しているようにも見えます。
 釈迦如来像の両脇にいるのは、阿難尊者と言われる釈迦の従兄弟であり、まだ年若い人物。もう1人が、迦葉尊者と言われる釈迦の一番弟子であり、釈迦が亡くなった後に指導者になった人物と考えられています。この両名は釈迦が特に信頼していた10人の弟子のうちの2人であり、このような組み合わせの釈迦の姿を見ると、さとりを開いた後に、各地で説法をしていた当時の様子が浮かんでくるようです。かつて人々が釈迦の説法を聞いたように、この地の人々も釈迦に救いを求めていたのかもしれません。
 これらの像は木造で、長い年月を経て今ではより温かみのあるお姿になっています。

解説

 釈迦如来は普賢菩薩と文殊菩薩を脇侍とする場合と、本像のように迦葉と阿難の二尊を脇侍とすることがある。
 迦葉尊者は摩詞迦葉尊者とも呼ばれ、頭陀第一で、樹神に祈って得た子である。はじめ婆羅門の学士としてその真髄を極めたが、釈迦の説法を聞いて道を改め、仏門に入り、その深奥を極めて釈迦十大弟子の随一と称されるに至った。釈迦の没後、仏門の長者に押され、阿難尊者とともに仏教の教典を編集した。
 阿難尊者は釈迦の従弟で、生来怜悧 、博学強記であった。後年釈迦について仏門に入り、釈迦55歳の時より20余年間侍者となり、東西の化導に随行した。後に釈迦十大弟子に数えられ、迦葉尊者についで仏門の長者に押されたという。
 中尊は木造寄木造り、漆箔の坐像で玉眼入り、施無畏印を結んでいる。衲衣は首から両肩にさがる通肩である。白毫・肉髻があり、切付の螺髪は頭に比すれば大粒だが刻みが浅い。顔・胸・手等には後世修理の金箔が残っている。光背・台座は江戸時代の補作と思われる。
 阿難尊者立像は、金剛合掌で壮年の僧形で、迦葉尊者立像は目縛印掌で腰を少しかがめた老僧の姿に造られている。いずれも玉眼入り彩色の像で、円光背と台座は江戸時代の補作と思われる。
 本像の制作期については、衲衣の処理に保福寺の薬師如来坐像(福島県指定)や、惣善寺の阿弥陀如来坐像(福島県指定)と相通ずるものがあることから、南北朝時代の作と思われる。
指定区分
県指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市山田町蔵ノ内
施設名
楞巌寺
指定年月日
昭和30年12月27日

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