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もくぞうこんごうやしゃみょうおうりゅうぞう

木造金剛夜叉明王立像

デコボコした足元はどこに立っているでしょうか?

 荒々しい姿も相まって、「めちゃくちゃ怒ってる!」と思わせる像です。
 怒りで目はつり上がり、逆立った髪の毛が勇ましいので思わず見落してしまいそうになりますが、実はこの像の頭には三つのお顔が彫られています。どのお顔も怒りの表情です。また、くいっと曲げた右足とひざ小僧がもりっと浮き出た左足で岩の上に立ち、躍動感にあふれています。欠けていたりする部分もありますが、逆にそれが素朴な信仰を表しているようで胸に迫るものがあります。
 作品名は金剛夜叉明王ですが、解説によると実は蔵王権現像である、とのこと。蔵王権現とは日本独自の山岳信仰と仏教の教えが結びついた修験道の本尊とされます。だからなのか、さとりに導くため力強く立つ姿は、見る人の心に強く残る仏像と言えるかもしれません。

解説

 蔵皇神社の創建は、大同2年(807)に大和国金峯山から菊田郡犬養山に蔵王大権現を奉遷したと伝えられる。正嘉2年(1258)の火災によって社殿その他が焼失したため、現在の地に遷座したという。また当社は、蔵王社・蔵王堂とも称し、出蔵寺境内の堂宇の一つであったが、明治初年の神仏分離の際に蔵皇神社となった。
 本像は岩座に立ち、御尊顔は三面で忿怒の形相をあらわしている。眼は彫眼で、髪は怒って逆立つさまをたたき出しの手法で一気に彫りあげている。衣文の刻みは流暢を欠き、粗雑な感じは免れない。後頭部や肩の後の部分は荒削りで、鉈彫りを思わせる。右手は腕の一部を残しているが、左手は肩の付け根から欠け、足も先が欠け顔にも損傷がある。髪の一部に朱彩、眼や歯の凹部に白彩が残されていることから、当初は彩色の像であったと思われる。
 本像は三面ではあるが六臂でも五目でもなく、頭上に馬王の髻もないことから、これは三面の蔵王権現像で、金剛夜叉明王としたのは誤りである。
 また本像の制作期は、裳裾の衣文や様式からみると、文保2年(1318)の長谷寺(常磐上湯長谷町)の十一面観音立像(県指定)や、原町市泉竜寺の十一面観音立像(県指定)に通ずるものがあり、鎌倉時代末期の作と思われる。
指定区分
県指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市勿来町酒井出蔵
施設名
蔵皇神社
指定年月日
昭和31年9月4日

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