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あんどうしげなががぞう

安藤重長画像

右手に持っている細長いものは何でしょうか?

 模様がバランスよく描き込まれた美しい装束(特別な時に身につける様式にあった装い)を身につけ、右手には笏(シャク)を持ち、どっしりと座った安藤家2代当主の姿が描かれています。
 紙魚(シミ:紙製品を好んで食べる害虫)による損傷や紙が折られた痕などもありますが、それでも幕府の信頼も厚かった当主の姿を存分に知ることができます。磐城平藩安藤家の歴史を物語る貴重な資料です。

解説

 この画像は、安藤家2代当主・重長の肖像画である。画面右上部には「明暦丁酉年良峯院殿前京兆司録天誉泰翁居士 尊儀九月二十九日」と墨書されている。明暦3年(1657)9月29日は重長の命日である。
 安藤重長は慶長5年(1600)の生まれ。元和7年(1621)に初代・政長の後を承けて、上野国(群馬県)高崎城主となり、5万6千石を領した。元和9年(1623)に、後に三代将軍となる家光の傅役となり、寛永9年(1632)には、駿河大納言忠長を高崎に預かる。寛永12年(1635)に寺社奉行となり、同13年(1636)には、朝鮮通信使の接待を命ぜられた。さらに、奏者番や江戸城西丸普請奉行をつとめ、たびたび上使を命ぜられるなど幕府の信頼も厚かった。幕政史上著名な人物である。
 画像は全体に紙魚、折れが目立ち、また重長の着する装束の袍(上衣)には一部顔料の剥落が認められるが、保存状態としては比較的良好である。画面左下の朱印は絵師のものと思われるが、現在、朱印が薄れ判読が難しい。冠をかぶり、太刀を佩し、右手に笏を持し、膝前に平緒を垂らし上畳に座している。束帯装束を着用した肖像画の典型的な形式をしている。また、細い線描きによって重長の様子をよく伝えている。なお、装束の表現は折り目が稜立つように仕立てた強装束に描かれているが、やや形式化されている。おそらく、狩野派の筆とみられる。
 磐城平藩・安藤家の来歴を語る、残存する数少ない資料のひとつである。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(考古資料)
住所
いわき市平字古鍛冶町
施設名
良善寺
指定年月日
平成13年4月27日

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