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しほんちゃくしょくくろいしだいみょうじんえんぎえまき

紙本著色黒石大明神縁起絵巻

絵巻は、誰によって寄進されたのでしょうか?

 力強く「黒石大明神」と書かれた縁起絵巻は、現在のいわき市泉町下川出身の能面師によって、今はなき下川村の源養院に寄進されました。縁起絵巻とはお寺や神社の由来を描いた絵巻のことをいい、磐城平藩主内藤家に仕えた著名な書家と長府藩のお抱え絵師によって制作されました。登場する空海や下川村の人々をはじめ、大蛇の悪行を訴える老蛙なども生き生きと描かれ、見所が満載。いわき市に残る唯一の縁起絵巻です。

解説

 黒石大明神縁起絵巻は、下川出身の面打師・出目洞白(旧名、水野谷加兵衛)が願主となり、宝永7年(1710)12月、下川村源養院に寄進されたものである。
 見返しには楮の表紙、本紙には鳥の子紙を用いた巻子本で、題字が14段の詞書と、13段の絵とあとがきからなる。
 「奥州岩城菊田郡下川村黒石大明神並伽藍建立之来由」に始まる詞書のあらましは、次のようなものである。
出雲の国で退治された八岐大蛇の霊が当国に天下り、山中に住んでいた。そのころ、唐から帰った空海が諸国巡歴の途中、菊田郡植田村に来た。下川村境の大きな沼地に住む老蛙が、通りかかった空海に、池の魚や蛙が大蛇に呑み殺されると訴えた。それを聞いた空海は、大蛇に悪行を諭し、大蛇は悔い改めた。空海の法力によって大蛇は石に封じ込められ、黒石大明神となった。近くに住んでいた朝日長者は、空海の勧進に応じ、仏教に帰依して海源法師となり、空海を開山として、光明山東光寺源養院を創建した。以後海源法師は源養院において浄業を怠らなかった。
 題字の「黒石大明神」と詞書は、磐城平藩主内藤家に仕えた能書家・佐々木文山(1659~1735)が、絵は長府藩の御用絵師であった狩野洞学が筆をとり制作された。現在いわき市において知られる唯一の縁起絵巻である。制作に携わった者は、それぞれ当時の著名な絵師と書家であり、いわきにゆかりのある1巻として貴重なものである。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(絵画)
住所
いわき市小名浜愛宕町
施設名
泉町神笑区
指定年月日
平成2年3月27日

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