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あまこやきとっくり・はち

尼子焼徳利・鉢

尼子焼の制作を命じたのは誰でしょうか?

 尼子焼は、磐城平藩主・安藤氏の命によって新たに窯を開いて制作が始まった焼き物といわれています。
 まずは徳利。口から胴にかけての首の黒々とした艶やかさにうっとりしてしまいます。それに続く胴は少し角ばり、キリッとした造形をしています。素地となる土は黄白色で、そこにびっしりと細かいヒビ割れ(貫入)が入り、味わいを与えています。見所は、大きく書かれた「尼子焼」という文字。文字の高さが一定ではなく、まるでリズムを取るようにバラバラの高さに書かれているのも、徳利に面白みを与えている気がします。
 次に鉢を見てみます。どっしりとした雰囲気は、釉薬に混じった鉄分によって生み出される茶褐色の効果が考えられ、見応えがあります。裏を見ると、底には「尼子」という印銘があります。
 どちらも日用品ではありますが、美しい焼き物です。

解説

 磐城における近世の作陶は、磐城平藩主・内藤氏の時代に磐城焼があり、内藤家はその窯元に土作の号を与えた。その後、天保年間(1830~44)磐城平藩主・安藤氏は、城下長橋町の今宮陶翁に窯を新町に開かせ、尼子焼と称させて制作を命じたという。
 徳利の胎土は、黄白色のこまかい貫入のある炉器質で、油滴様の窯変をあらわす。胴部には、力強い筆致で「尼子製」と鉄砂で書いてある。底部の釉のかかったところには紫色の窯変がある。相馬焼と比して、土は荒い感じはするが作りは丁寧である。
 鉢の胎土は炉器質の荒い黄白色で、肌は沈んだ茶褐色をまじえた鉄釉が施してある。作り方は丁寧で畳付のところに「尼子」の印銘がある。
 その他の尼子焼の作品と比べてみると、土は精練されたものが用いられており、作り方は丁寧である。日常に使用された雑器の類ではあるが、格調が高く、優雅で精練された作風を示している。
 尼子焼は相馬焼の影響を受けていることが認められ、いわゆる民芸品とは異なった作風で、相馬焼の祖である京焼に近い点に注目しなければならない。
 江戸時代に磐城の窯で焼成された確実な作品であり、損傷はなく保存は良好である。また、他の類品に比して作行きも良い。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(工芸品)
住所
いわき市平字一町目
施設名
個人

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