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もくぞうしょうかんのんぼさつざぞう

木造聖観音菩薩坐像

ハスのつぼみを持って何をしようとしているでしょうか?

 観音菩薩は人々の願いを聞き、それに応じるために33の姿に変化して救済するとされますが、その元となっているのが聖観音菩薩なのです。この菩薩は左手にハスのつぼみを持って右手で花びらを開こうとする姿として表現されることが多く、この像もそのスタイルで表現されています。
 ヒノキ材を使い、木材を組み合わせる寄木造りで作られています。面長でふくよかな優しいお顔に水晶で作られた玉眼がはめ込まれ、女性的な生き生きとした表情をしています。また、着物のそでやすそが台座にまで流れるように垂れ下がる様子が見てとれます。
 このような表現を垂下様式と言い、様式の中でもいくつか種類がありますが、この像は北関東の仏像彫刻の歴史を考える上で貴重な仏像と考えられています。

解説

 檜材寄木造り、両袖先と膝部を矧ぎ合せ、頭部は首柄で体部に差し込む。高い宝髻を結い、宝冠、首と胸に瓔珞を付け、玉眼を入れる。姿勢は左手を軽く結んで蓮華の蕾をもち、右手で花を開こうとする通例の像容となっている。
 注目されるのは面長な女性的顔貌、両肩を被って流れる柔らかい衣文の表現と、その両袖、裳裾を台座から垂れる垂下様式になっていることである。勝行院(常磐湯本町)の釈迦如来坐像(県指定)の場合は、両袖先を直接長く垂らし、裾先も二重に垂下するが、この像の場合は、一度両膝にかけて裳懸座風に垂らし、裾先の垂下も短く一重になる新しい様式を示す。
 また、浄智寺(鎌倉市山ノ内)の過去・現在・未来を象徴する三世仏像(弥陀・釈迦・弥勒)や、覚園寺(鎌倉市二階堂)の日光・月光像の場合は、両袖先の垂下はなく、裳裾のみを左右対称に長く垂らす方式をとっているから、垂下方式も種々あったことがわかる。
 円通寺は、大同2年(807)徳一の開基と伝えられ、永享12年(1440)2月、真言宗願行流佐久山方の宥徳上人により再建され、土地の豪族上遠野大炊頭の庇護を受けたという。聖観音はこの再建期の室町時代初期の制作と考えられる。高い宝髻、面相、耳朶の薄い造り、台座などはその時代の特徴を示している。
 ともあれこの聖観音坐像は、北関東の仏像彫刻史上、垂下様式の1つの展開過程を示す貴重な資料である。これはやがて両袖先だけを垂下する相応寺(安達郡大玉村)の薬師如来坐像(宝徳4年(1452)4月)に影響をあたえたものと推定される。
指定区分
県指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市遠野町上遠野根小屋
施設名
円通寺
指定年月日
昭和51年5月4日

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