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もくぞうあみだにょらいざぞう

木造阿弥陀如来坐像

災害を乗り越えてきた木造阿弥陀如来坐像。どんな災害だったでしょうか?

 浄土から迎えに来たことを表す来迎印を結んだ姿で座る木造阿弥陀如来坐像。キラリと光る眉間の白毫(びゃくごう)が目を引くお顔に、金箔が残っているのが見て取れます。よく見ると、お顔が少し焼けているようにも見えます。1779年と明治の戊辰戦争の際に火災にあったときの損傷と思われますが、言い換えれば、損傷を受けてもこうしてお姿が残っていることに感動を覚えます。
 浄土から人々を迎えに来られた阿弥陀如来自体がこうして災害を乗り越え、再び、民を救おうとする姿に、多くの人が心を寄せたのではないでしょうか。
 ふっくらとしたほおはどこまでも柔和で優しさにあふれ、これから先も多くの人の心のより所になっていく木造阿弥陀如来坐像です。

解説

 木造阿弥陀如来坐像の脚部と体幹部の裏にはそれぞれ銘文があり、脚部裏には次のように記されている。

 □□(元徳)二年庚午十二月□廿□日□比丘善来七十□
              春秋七十九
 建武貳年乙亥正月廿四定日 比丘善来需識
  □□□七十九   是時 性浅□□衛門( 降連力)
                □□
 元徳二年辛(ママ)未十二月□□□□□□□□□□□□

 銘文から本像は、建武2年(1335)に完成されたものと考えられる。元徳2年(1330)は、本像の造立を発願した年か、あるいは造立に着手した年にあたると思われる。なお「比丘善来」は、保福寺(小名浜住吉)の薬師如来坐像(県指定)等の銘文中にもみられる銘である。
 左手を膝上におき、右手を胸前にあげ、それぞれ第1、2指頭を捻じ、右足を上にして結跏趺坐する。構造は頭体幹部を通して前後に2材を矧ぎ、像底は上底式につくる。三道下を通る線で前後材とも頭部を割矧ぐ。両肩先より地付まで通して堅に各一材を体側に矧ぎ、脚部は横に一材を矧ぐ。両手首を各袖口に挿し込み矧とする。
 両手首より先は後補で、両手袖口部の材を欠失し、面部には焼損もみられる。『石城郡誌』によると、安永8年(1779)と明治の戊辰戦争の二度災害を受けている。像の損傷は、これらの時のものと思われるが、両頬の肉付きは豊かでひきしまり、衣文の彫出も太く、力強い造形をとどめている。
指定区分
県指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市常磐湯本町三函
施設名
惣善寺
指定年月日
昭和61年3月31日

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