もくぞうみょうおうがたりゅうぞう
木造明王形立像
頭の三角型の盛り上がりは何を表現しているでしょうか?
像の高さが150.8センチとかなり大きく、今は失われていますが、足が残っていたら等身大と言っていいほど大きな仏像だったかもしれません。
この木造明王形立像は、本来は8つの腕を持っていたと考えられますが、8つの腕は全て失われています。しかし、怒りの表情や、山形に髪を逆立てた怒髪(どはつ)は明王の特徴をよく表しています。注目して見ていただきたいのが、怒髪の表現。画像を拡大すると、ノミの彫りの跡がよく残り、制作当時の生々しさを感じることができるはず。顔にも彫りの跡がはっきりと残り、1本の木材から彫り出した一木造りのシンプルな力強さを余すことなく感じることができるでしょう。
失われている部分は確かにありますが、他にも堂々とした胸の厚みや腹のふくらみなど、見どころのある仏像です。
この木造明王形立像は、本来は8つの腕を持っていたと考えられますが、8つの腕は全て失われています。しかし、怒りの表情や、山形に髪を逆立てた怒髪(どはつ)は明王の特徴をよく表しています。注目して見ていただきたいのが、怒髪の表現。画像を拡大すると、ノミの彫りの跡がよく残り、制作当時の生々しさを感じることができるはず。顔にも彫りの跡がはっきりと残り、1本の木材から彫り出した一木造りのシンプルな力強さを余すことなく感じることができるでしょう。
失われている部分は確かにありますが、他にも堂々とした胸の厚みや腹のふくらみなど、見どころのある仏像です。
解説
出蔵寺は大桜山蔵王院出蔵寺と称する、真言宗智山派の寺院である。
本像は、磐城三十三観音十番札所・出蔵観音堂に安置されている。一面八臂で、山形に髪を逆立てた怒髪をあらわす。やや右上方を向いた面貌は両眼を見開き、口を閉じ、牙をのぞかせ、怒りの表情をあらわにした姿をみせている。左肩より条帛をかけ裳をまとい、やや左足を踏み出し、腰を右に捻じて立つ。八臂は全て失われ、また両足首から先は欠失している。眼は彫眼、幅広の天冠台を彫出し、現状は素地をあらわす。
構造は頭体を通して1材で彫出された一木造りで、内刳りは施されていない。胸部と腹部は厚みがあり体躯の奥行きも十分で、量感に富んだ造形感覚をみせているが腰部以下は摩滅のためやや量感を損なっている。荒々しく重厚な造形は平安前期の作風を思わせるが、造立年代は10世紀と考えられている。
また、出蔵寺から分離した蔵皇神社に伝わる木造金剛夜叉明王立像(県指定)と同様に、本像もその技法と作風から在地で制作されたと考えられる。
なお本像は、その像容から明王として造られたものとみられる。
本像は、磐城三十三観音十番札所・出蔵観音堂に安置されている。一面八臂で、山形に髪を逆立てた怒髪をあらわす。やや右上方を向いた面貌は両眼を見開き、口を閉じ、牙をのぞかせ、怒りの表情をあらわにした姿をみせている。左肩より条帛をかけ裳をまとい、やや左足を踏み出し、腰を右に捻じて立つ。八臂は全て失われ、また両足首から先は欠失している。眼は彫眼、幅広の天冠台を彫出し、現状は素地をあらわす。
構造は頭体を通して1材で彫出された一木造りで、内刳りは施されていない。胸部と腹部は厚みがあり体躯の奥行きも十分で、量感に富んだ造形感覚をみせているが腰部以下は摩滅のためやや量感を損なっている。荒々しく重厚な造形は平安前期の作風を思わせるが、造立年代は10世紀と考えられている。
また、出蔵寺から分離した蔵皇神社に伝わる木造金剛夜叉明王立像(県指定)と同様に、本像もその技法と作風から在地で制作されたと考えられる。
なお本像は、その像容から明王として造られたものとみられる。
- 指定区分
- 県指定
- 種別
- 重要文化財(彫刻)
- 住所
- いわき市勿来町酒井出蔵
- 施設名
- 出蔵寺
- 指定年月日
- 平成14年3月29日