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えまそうようず

絵馬双鷹図

とても立体的な鷹です。どんな技法で作られているでしょうか?

 絵馬と言って思い浮かべるのは、単にモチーフを描いた物ですが、この双鷹の絵馬は一味違います。
 板材に黒漆をしっかりと塗り、その上に浮き彫りした鷹や唐獅子を取り付けています。右の鷹は純白、左の鷹は通常の鷹の姿に彩色。唐獅子もそれぞれ違うポーズでかっこいい。
 画像を拡大してみてください。浮き彫りと言うだけあって、とにかく細部にわたって神経が行き届き、細かく彫り込まれています。羽の1枚1枚を表現するだけでなく、羽にも刻みを入れてリアルな表現を。ギロリとした眼光は鋭く、鷹の特徴であるくちばしの曲がり具合も素晴らしい。
 また垂れ下がる紅白のひもの立体感や唐獅子の躍動感ある足さばきや爪に至るまで、本当にこれが絵馬なのかと思うクオリティです。

解説

 この絵馬は長方形で、黒漆の額縁を巡らしている。黒漆を塗った地板に、唐獅子の背に乗せた止まり木に、鷹を据えた構図のリリーフを取り付けたものである。右の鷹は純白に、左は普通体に彩色され、彫刻の技法は緻密で、気品のある作品である。彩色も比較的良く残されており、漆工芸の作品としても優れている。残念なことに彫工の名は不詳であるが、鷹をモチーフとした絵馬では県内最古の作品である。
  銘文は金泥にて、次のとおり記されている。

  奉掛 藤原概純敬白
  御宝前
  延宝七年己未正月吉旦

 奉納者の藤原概純とは、磐城平藩内藤家家老の松賀族之助である。後に泰閭と改め、俳号を紫塵と号した。彼の実の祖父は荒木村重の一族で、2万石の大名であった荒木重堅であった。重堅は、関ヶ原の合戦で石田方に属したため、父は浪人となり母方の姓に改め大野市左衛門と称した。のちに内藤忠興に300石で召し抱えられ、その子供の族之助は、幼くして内藤義概に仕え、2,000石の俸禄をうける。元禄15年(1702)3月22日、江戸にて没し、墓は鎌倉の光明寺にある。
指定区分
県指定
種別
重要有形民俗文化財
住所
いわき市平字八幡小路
施設名
飯野八幡宮
指定年月日
昭和55年3月28日

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