つきがたのはこ
月形函
箱の中には、何が入っていたのでしょうか?
美しい木目が見えるように、透ける生漆を塗る摺漆塗と言われる技法で作られた木箱です。この木箱には如来寺を開いた良山などが記した文章が「重書」として収められており、非常に重要なものとされます。
一見すると美しく漆が塗られているだけに見えますが、実はすべての角を1段削り落とす「几帳面」という技法が使われ、そこに布を補強するという手の込みよう。
月形函は、函に関わった各お寺や宗派の状況と当時の技巧技術を伝える品と言えます。
一見すると美しく漆が塗られているだけに見えますが、実はすべての角を1段削り落とす「几帳面」という技法が使われ、そこに布を補強するという手の込みよう。
月形函は、函に関わった各お寺や宗派の状況と当時の技巧技術を伝える品と言えます。
解説
「月形函」とは、浄土宗名越派の2世明石の住房、善光寺月形房の名に由来し、その派祖尊観や明心、名越派3世と言われ如来寺を開山した良山等による著述を「重書」として広く収集し、これを納めた箱のことで、特に重要視された。
現在、如来寺には大永6年(1526)に如来寺11世の良卜が作らせたものと、大永8年(1528)に如来寺10世で、その当時、専称寺7世でもあった良懿が作らせたものと、2つの箱が伝存する。
2つとも大工吉田次郎左衛門によって作られ、桧材を用い、形状は内蓋付被蓋形式で、被蓋・内蓋・身の全ての稜(角)を1段下げて削り落とす「几帳面」とし、その部分に補強として布を貼り黒漆塗とし、箱全体は摺漆塗とするなど、ほぼ共通した意匠であり、質実で気品のある箱となっている。
また、大永6年銘の箱には内蓋に、大永8年銘の箱には箱裏にそれぞれ作成年月日や発願者、制作者の名とともに、これらを作るに至った経緯が墨書されている。その大意として、大永6年銘の箱には、良卜が如来寺8世良寿が写した重書を集め、新たに「月形之箱」を作り収めたこと、専称寺6世良大のもとに如来寺伝来の手印(伝法の証)や重書が移されたこと、資格の無い者がこれを取扱うことを禁ずることが記されている。大永8年銘の箱には、良懿が大永6年銘の箱に収めた際に不足した写本や切紙などを新たに箱に収めたこと、後世の住持達はこれらを守り、一層励むようにとの内容が記されている。
16世紀前半の大永年間に遡り制作者名などがはっきりと分かる作であり、当時の如来寺と専称寺との名越派主流をめぐる状況を知る上でも重要な史料である。
現在、如来寺には大永6年(1526)に如来寺11世の良卜が作らせたものと、大永8年(1528)に如来寺10世で、その当時、専称寺7世でもあった良懿が作らせたものと、2つの箱が伝存する。
2つとも大工吉田次郎左衛門によって作られ、桧材を用い、形状は内蓋付被蓋形式で、被蓋・内蓋・身の全ての稜(角)を1段下げて削り落とす「几帳面」とし、その部分に補強として布を貼り黒漆塗とし、箱全体は摺漆塗とするなど、ほぼ共通した意匠であり、質実で気品のある箱となっている。
また、大永6年銘の箱には内蓋に、大永8年銘の箱には箱裏にそれぞれ作成年月日や発願者、制作者の名とともに、これらを作るに至った経緯が墨書されている。その大意として、大永6年銘の箱には、良卜が如来寺8世良寿が写した重書を集め、新たに「月形之箱」を作り収めたこと、専称寺6世良大のもとに如来寺伝来の手印(伝法の証)や重書が移されたこと、資格の無い者がこれを取扱うことを禁ずることが記されている。大永8年銘の箱には、良懿が大永6年銘の箱に収めた際に不足した写本や切紙などを新たに箱に収めたこと、後世の住持達はこれらを守り、一層励むようにとの内容が記されている。
16世紀前半の大永年間に遡り制作者名などがはっきりと分かる作であり、当時の如来寺と専称寺との名越派主流をめぐる状況を知る上でも重要な史料である。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(考古資料)
- 住所
- いわき市平山崎矢ノ目
- 施設名
- 如来寺
- 指定年月日
- 平成15年4月25日