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浄光院銅造宝篋印塔

思いの詰まった宝篋印塔です。どんな目的で建てられたでしょうか?

 銅製の宝篋印塔で、1717年に当地で広まった伝染病による死者の供養のために建てられました。宝篋印塔とは供養塔や墓などに用いられるものをいい、浄光院の宝篋印塔にも亡くなった人の名が刻まれています。
 塔は、風雨にさらされながら味わい深い色合いになり、堂々とした面持ちがあります。また屋根にはびっしりと梵字(ぼんじ)が刻まれ、なかなかの雰囲気。えっ!と驚くのが、下段にある蓮の花の上に螺髪(らほつ)が乗せられているということ。螺髪とは貝のように右巻きに巻かれた仏像の髪をいうのですが、それがここに乗せられているのです。
 これはその上の塔の様相と合わせて真言を強く表現したデザインだと考えられています。

解説

 この宝篋印塔は、小名浜港を眺望する風光明媚な高台に所在する浄光院の境内にある。浄光院は寺名を観音寺と言い、嘉吉3年(1443)岩城親隆の守護仏十一面観音を安置創建したとの寺伝がある。現本堂の入口右脇に設置した宝篋印塔は、銅鋳造建築物で、宝形屋根に梵字を陽刻し、四方隅棟に宝珠と屋根の中心に露盤と相輪を備える。上段蓮座で蟇股中備と平三斗組斗栱に高欄が組まれる。三間を表す円柱に内法と地覆長押を組み、下段の蓮弁上に螺髪が乗る様式は、真言を強く表現したデザインに作られている。
 この宝篋印塔は、享保2年(1717)当地方に蔓延した疫病により死亡した人々の三回忌供養のため造立され、銅造台座の格狭間には数100名の法名が陰刻されている。
 製作者は刻文によると、江戸神田鋳冶師・小幡内匠で享保4年(1719)7月吉祥日に建立した。発願主を示す主な銘文は次のとおりである。

   享保四年巳亥七月吉祥日
   奥州磐城岩崎郡小名浜邑
   開虎山浄光院現住法印祐栄代
   願主金剛仏子本明博賢敬白

 その後、文化12年(1815)と平成5年(1993)に補修されている。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(建造物)
住所
いわき市小名浜古湊
施設名
浄光院
指定年月日
平成14年4月30日

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