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しほんちゃくしょくじゅうにてんず

紙本著色十二天図

十二天とは一体何でしょうか?

 どれもこれも味わい深く、変色や絵の具のはがれなどがありますが、とても美しい紙本着色十二天図と言えるでしょう。
 十二天とは、密教における方位の神々を言います。東西南北、これに天地(上下)を加え、東西南北の各間(東南、西南、西北、北東)を入れて10方。ここに月と太陽を加えて、一二天、つまり方位を守る12の神を言い表します。これは全方位空間を表していて、十二天は密教の修行を行う空間、道場を守護する役割を果たしていたのです。
 その役目から、密教寺院ではこのような十二天図を道場に掛けてその中で修行を行うことがありました。
 この図も制作された時とは色合いは違うでしょうが、それだけ使われ、役目を果たしてきた証と言えます。それが十二幅すべて残されているのは、大切にされてきたということでしょう。

解説

 十二天は方位を守護する神として、古くからインドで信仰されていたが、後には仏教に取り入れられた。四方・四維の八天と、上・下の二天、それに日・月の二天を加えたものである。その方位と尊名は、東方・帝釈天、東南方・火天、南方・焔摩天、西南方・羅刹天、西方・水天、西北方・風天、北方・多聞天、東北方・伊 舎那天、上方・梵天、下方・地天の十天に、日天、月天を加えた十二天である。
 日本では、空海によって密教が伝わった当時は十天像が使用されたと考えられるが、空海以後請来された儀軌によって、日天、月天が加えられ、十二天像が作られるようになった。
 密教寺院における儀式では十二天の幅をかけたり、屏風を飾ったり、また十二天供では壇の中央に四臂の不動尊を安置し、その周囲に十二天を配して修法を行った。こうした修法を行ったのは、市内では薬王寺(四倉町薬王寺)や大高寺(勿来町大高)などであった。
 この十二天図は近年の改装による緞子表具で、中周りは金欄の掛幅である。室町時代の仏絵師の作とみられ、各尊の輪郭や衣の線は中細の伸びやかな鉄線で、顔や手足の指などは細い線で表現しており、諸尊の顔貌・姿勢はそれぞれ良く描かれている。当初は華麗な彩色であったが、地蔵堂に長年掛けていたので、彩色に変色や剥落があって保存状態は良くないが、12幅揃っていることは貴重である。薬王寺の所蔵であったが、明治年間渡辺家が当寺に寄進した。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(絵画)
住所
いわき市四倉町長友大宮作
施設名
長隆寺
指定年月日
昭和54年4月14日

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