さるたひこめん
猿田彦面
鼻が高い!どのように作っているでしょうか?
とにかく鼻に視線が行ってしまいます。どうしてこんなに鼻が高いの?と思わずにはいられません。
お面は磐城平藩主・内藤義概の子、政栄によって寄進されました。政栄は俳人でもあったのですが、寄進された日付から、自身の厄除け祈願のために寄進されたと考えられています。
だからなのでしょうか。悪い物を寄せ付けないようにするために怒りの表情に力強い眼、これでもかと高い鼻を付けたのかもしれません。鼻は、面に造られた穴に鼻を差し込む方法が取られています。そうまでして高い鼻をつけたかったのかと思うのですが、裏を見ると差し込まれた状況がよくわかるので見ていただきたい。
裏を見ると、内側を彫ったノミの跡がデザインのようにも見えて素晴らしく、見逃せないポイントです。
お面は磐城平藩主・内藤義概の子、政栄によって寄進されました。政栄は俳人でもあったのですが、寄進された日付から、自身の厄除け祈願のために寄進されたと考えられています。
だからなのでしょうか。悪い物を寄せ付けないようにするために怒りの表情に力強い眼、これでもかと高い鼻を付けたのかもしれません。鼻は、面に造られた穴に鼻を差し込む方法が取られています。そうまでして高い鼻をつけたかったのかと思うのですが、裏を見ると差し込まれた状況がよくわかるので見ていただきたい。
裏を見ると、内側を彫ったノミの跡がデザインのようにも見えて素晴らしく、見逃せないポイントです。
解説
鼻高く、両眼を見開き口を一文字に閉じる、忿怒形である。
面部を1材で彫出し、内部を刳る。両瞳、両鼻孔、両耳孔は貫通する。鼻先は1材で彫出し、鼻の面に角枘差しとする。両耳孔に紐を通す。面部朱漆塗、眉黒漆塗、白眼漆箔。
面内側刻銘により、元禄10年(1697)に内藤政栄(露沾)により寄進されたことがわかる。この年は政栄の後厄の年にあたり、またその日付は「正月吉日」とあることから、この面は、政栄の厄除け祈願のため飯野八幡宮に寄進された可能性が高い。
同じく政栄により寄進された立鉾鹿島神社の猿田彦面と比べると、この面の方が25年古い。皺の彫出など両者では異なり、おそらく作者は別であろう。この面には肉の盛り上がりに量感があり、写実的表現がみられる。
いわき市に伝来する猿田彦面では古い部類に属し、来歴も明確で、歴史、工芸資料としての価値は高い。
面部を1材で彫出し、内部を刳る。両瞳、両鼻孔、両耳孔は貫通する。鼻先は1材で彫出し、鼻の面に角枘差しとする。両耳孔に紐を通す。面部朱漆塗、眉黒漆塗、白眼漆箔。
面内側刻銘により、元禄10年(1697)に内藤政栄(露沾)により寄進されたことがわかる。この年は政栄の後厄の年にあたり、またその日付は「正月吉日」とあることから、この面は、政栄の厄除け祈願のため飯野八幡宮に寄進された可能性が高い。
同じく政栄により寄進された立鉾鹿島神社の猿田彦面と比べると、この面の方が25年古い。皺の彫出など両者では異なり、おそらく作者は別であろう。この面には肉の盛り上がりに量感があり、写実的表現がみられる。
いわき市に伝来する猿田彦面では古い部類に属し、来歴も明確で、歴史、工芸資料としての価値は高い。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(工芸品)
- 住所
- いわき市平字八幡小路
- 施設名
- 飯野八幡宮
- 指定年月日
- 平成23年10月20日