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かたな(めい)ねもといずみのかみふじわらくにとら

刀(銘)根本和泉守藤原国虎

この刀はいつ作られたでしょうか?

 この刀を作った藤原国虎は、磐城平藩主・内藤氏のお抱え鍛冶にもなった人物です。銘には名前のほかに、貞享元年(1684)10月の年月や磐城平に住んでいたことも彫られているので、いつ作られたかがわかる貴重な刀です。
 さて、刀には刃文と呼ばれる模様があります。刃を焼いたことによって生み出される模様で、刀工たちがより丹精込めて仕上げる工程になります。刃文は偶然できるものではなく、刀工たちの技量とセンスが注ぎ込まれた結果、さまざまな模様を作り出し、刀工の特徴を表すひとつになるのです。例えば刃文が白くかすみがかったように見えることを「匂い」といい、この刀の場合は匂いの部分の幅が広くなっていて「匂い深い」刀といえます。また、刃文は波のようにうねる「乱刃」になっています。刃文は刀を鑑賞するポイントになるでしょう。

解説

 初代根本国虎は、万治元年(1658)平鍛冶町に生まれ、刀工・堀川国安の子孫で父は国家である。若年にして父と死別し、19歳の時伊賀守金道の門に入り鍛刀の技を習い、延宝9年(1681)に上京して井上真改にも学んだ。
 また、内藤家文書には「天和3年(1683)十二月京都金道方へ云々」とあり、翌年の貞享元年(1684)27歳で和泉守を受領したことを記している。その後内藤家の御抱え鍛冶となり、鍛冶町に定住し鍛刀に従事したが、正徳3年(1713)56歳で没した。性源寺(平字長橋町)に墓地がある。
 国虎の作刀は少ないが、中でもこの刀は年記や岩城平住の銘があるので貴重である。
 
 銘 表 菊紋 根本和泉守藤原国虎 
 裏 貞享元年十月吉日 奥州岩城平住人

 この刀は鎬造り、庵棟、中反り。鍛は板目肌良くつみ地沸つき、刃文は乱刃で匂い深く砂流しがかり小沸出来、帽子沸え小丸に返る。生茎で化粧やすり、栗尻、目釘穴一個。拵は黒呂印篭鞘、柄前は撚り白糸の組上巻、巻下は白ざめ、縁頭、桐葉の色絵高彫りの総赤銅、鐸は鉄丸形で花に蝶透し、耳金覆輪。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(工芸品)
住所
いわき市平字一町目
施設名
個人
指定年月日
昭和43年12月27日

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