もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう
木造聖観音菩薩立像
誰のために青雲院に寄進された像でしょうか?
右手の艶やかな表現にハッとさせられます。両手の動きをはじめ、腰を少しだけ左に曲げ、右足を前に踏み出している姿に目が行きます。ふくよかで丸いお顔立ちは魅力にあふれています。
この像は、磐城平藩の重臣松賀忠右衛門を弔うために青雲院に寄進されました。どうやら単独ではなく、中央にいらっしゃる仏様の脇に置かれる像として作られた可能性もあるとか。実際はどんな形で寄進されたのか、想像が膨らむ立像です。
この像は、磐城平藩の重臣松賀忠右衛門を弔うために青雲院に寄進されました。どうやら単独ではなく、中央にいらっしゃる仏様の脇に置かれる像として作られた可能性もあるとか。実際はどんな形で寄進されたのか、想像が膨らむ立像です。
解説
観音堂の厨子に納められている木造聖観音菩薩立像は、単髻を結い、彫り出した山形宝冠をいただく。左手は屈臂して腹前で5指を曲げ未敷蓮華を持し、右手は胸前にかまえ第1指、第2指を捻じる。天衣・条帛をかけ裳をまとい、天衣は大腿部及び膝前をわたり両体側に垂下し、腰をやや左に捻じた姿勢をとり、右足をやや前に踏み出している。眼は彫眼、三道、天冠台を彫出する。また銅製の臂釧、腕釧をつけ、素地仕上げである。
頭体を通して1材で造られ、頭頂から両耳後と体側を通る線で前後に割矧ぐ。両肩先、銅製の宝冠及び胸飾りは後補と思われ、天衣と足先の一部を欠く。また両眼、両頬、鼻先の一部が削り直され、そのため面貌の表現がやや損なわれている。技法と作風から在地で制作されたとみられ、造立年代は平安時代後期と考えられている。
また、厨子内側背面に記された墨書銘により、元禄7年(1694)に没した磐城平藩内藤家の重臣、松賀忠右衛門の菩提のために、元禄13年(1700)に青雲院に本像が寄進されたことがわかる。
なお、腰を左に捻じ、右足を前に踏み出した姿勢をみせていることから、本像は当初単独の観音像ではなく、脇侍菩薩像として造立された可能性が指摘される。
頭体を通して1材で造られ、頭頂から両耳後と体側を通る線で前後に割矧ぐ。両肩先、銅製の宝冠及び胸飾りは後補と思われ、天衣と足先の一部を欠く。また両眼、両頬、鼻先の一部が削り直され、そのため面貌の表現がやや損なわれている。技法と作風から在地で制作されたとみられ、造立年代は平安時代後期と考えられている。
また、厨子内側背面に記された墨書銘により、元禄7年(1694)に没した磐城平藩内藤家の重臣、松賀忠右衛門の菩提のために、元禄13年(1700)に青雲院に本像が寄進されたことがわかる。
なお、腰を左に捻じ、右足を前に踏み出した姿勢をみせていることから、本像は当初単独の観音像ではなく、脇侍菩薩像として造立された可能性が指摘される。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形文化財(彫刻)
- 住所
- いわき市好間町下好間大館
- 施設名
- 青雲院
- 指定年月日
- 平成元年12月4日