facebook twitter instagram Line
けんぽんちゃくしょくねはんず

絹本著色涅槃図

釈迦の生母の姿も描かれています。どこにいるでしょうか?

 まずは、全体をつぶさに見ていただきたい。絵のすみまでびっしりと描き込まれた釈迦の涅槃図は、見応え十分。中央には涅槃(亡くなった)の釈迦が描かれ、その周りには仏弟子をはじめ、多くのものが集まり悲しむ様子が描かれています。釈迦の死が悲しいあまりに沙羅樹(さらじゅ)の8本のうち4本が白くなり枯れ、その上にたなびく雲に乗って天上よりやってきた釈迦の生母である摩耶夫人(まやふじん)の姿もあります。鬼神や動物たちもそれぞれすみずみまで見あきることがありません。
 できたら画像を目一杯に拡大してください。悲しむ人たちの表情の違いや天人たちが着けている宝冠の違いなど、細かいところまで楽しめます。

解説

 涅槃図は釈迦の入滅に際し、門下の大衆をはじめとし、諸天・鬼神・禽獣・虫魚等52類の衆生が集まって悲歎に暮れている様子を描いたものである。釈迦は四枯四栄の沙羅樹の下の床上に、北首右脇下にして西面して臥している。四周には阿難以下の仏弟子及び52類の衆生が集合し、右上方には釈迦の生後7日にして死別した生母摩耶夫人が天上より雲に乗じて来臨し、愛子悉達多(釈迦)の入滅を悲嘆している。当時釈迦の指名を帯び、遠地伝道に赴いていた迦葉は、釈迦の入滅を聞き急きょ帰来し、その席に坐した情景を描いている。
 本図には、薬王寺二十世日元の記した「画涅槃像幀讃并序」が別幅になって付いている。それによると、元禄15年(1702)2月15日、江州坂北郡の生まれの中川右衛門義英が弘願を発し、浄財をもって上京した。そこで京の絵師・法橋栄賢に依頼して作製し、父母の冥福を祈って薬王寺に寄進したものである。薬王寺ではこれ以来、毎年2月25日の涅槃会には本図を掛けて儀式を行ったのである。
 画風からみて法橋栄賢は、京の狩野一派の画人と思われ、その大画面を謹直な筆致 でまとめあげている。描写も優れており、当時代の超大作である。
指定区分
市指定
種別
有形文化財(絵画)
住所
いわき市四倉町薬王寺塙
施設名
薬王寺
指定年月日
昭和51年5月27日

その他の高精細コンテンツ

TOP