えま しらくわまつりず
絵馬 白鍬祭図
白鍬祭が奉納されるのはいつでしょうか?
描かれている人たちの様子がなんとも楽しげで、こちらにまで賑やかな音が伝わってきそうです。
これは白鍬祭の様子を描いたもので、大豊作の年の旧暦9月9日に、秋の収穫を祝い、白山神社に奉納されていた祭です。中央に見えるのは花笠を被った若者10人。列を乱すことなく軍配振りの後に続いて歩く姿や、その脇でにこやかに踊る農民がなんとも微笑ましい。
大正4年(1915)を最後に途絶えてしまった白鍬祭を伝える貴重な絵馬です。
これは白鍬祭の様子を描いたもので、大豊作の年の旧暦9月9日に、秋の収穫を祝い、白山神社に奉納されていた祭です。中央に見えるのは花笠を被った若者10人。列を乱すことなく軍配振りの後に続いて歩く姿や、その脇でにこやかに踊る農民がなんとも微笑ましい。
大正4年(1915)を最後に途絶えてしまった白鍬祭を伝える貴重な絵馬です。
解説
この絵馬は、明治4年(1871)に行われた白鍬祭の様子が綿密に描かれている。祭が絶えてしまった今日では、白鍬祭の模様を伝える貴重な資料である。白鍬祭は、大豊作の年の旧暦9月9日に、秋の収穫を祝い白山神社に奉納されたもので、磐城地方では他に類のないものであったが、大正4年(1915)を最後に廃絶した。「天磐戸式例白鍬」(白山神社所蔵文書)によると、農民が踊る猿楽を伝えていたということがわかる。
絵馬は松材の1枚板に描かれた彩色画で、現在は白山神社拝殿に掲げられている。
夏井川左岸の旧磐城郡には磐城七祭があったと伝えられ、その1つ北神谷の白鍬は白鍬踊ともいわれた。天文20年(1551)に例大祭が始まったとの記録があり、大正4年までの360年間に16回行っている。大正4年の祭礼に翁役で参加した高木誠一は、『磐城北神谷の話』の中でその様子を次のように記している。
能の舞 翁1人・千歳1人・三番叟1人・楽屋掛・笛1人・小鼓2人・太鼓2人・地唄2人
白鍬の舞 断り1人・警固2人・謡3人・小太鼓1人・太鼓1人・軍配1人・白鍬舞10人。
若者10人が花笠を被り、草色の衣服に黒の袴をつけ白の襷をかけ、平鍬を左に耙を右にし、鍬頭軍配振りの後につき2列になって連行する。笛、謡により拍子を揃えて耕耘の状をなす。極めて古風荘厳な祭で多くの人数を要したという。
絵馬は松材の1枚板に描かれた彩色画で、現在は白山神社拝殿に掲げられている。
夏井川左岸の旧磐城郡には磐城七祭があったと伝えられ、その1つ北神谷の白鍬は白鍬踊ともいわれた。天文20年(1551)に例大祭が始まったとの記録があり、大正4年までの360年間に16回行っている。大正4年の祭礼に翁役で参加した高木誠一は、『磐城北神谷の話』の中でその様子を次のように記している。
能の舞 翁1人・千歳1人・三番叟1人・楽屋掛・笛1人・小鼓2人・太鼓2人・地唄2人
白鍬の舞 断り1人・警固2人・謡3人・小太鼓1人・太鼓1人・軍配1人・白鍬舞10人。
若者10人が花笠を被り、草色の衣服に黒の袴をつけ白の襷をかけ、平鍬を左に耙を右にし、鍬頭軍配振りの後につき2列になって連行する。笛、謡により拍子を揃えて耕耘の状をなす。極めて古風荘厳な祭で多くの人数を要したという。
- 指定区分
- 市指定
- 種別
- 有形民俗文化財
- 住所
- いわき市平北神谷字神下
- 施設名
- 白山神社
- 指定年月日
- 平成9年5月13日