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もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう

木造地蔵菩薩立像

眉間にピカッと光るものは何でしょうか?

 「地蔵菩薩がこんなに大きいとは!」と見た人を驚かせる立派な木造地蔵菩薩立像です。
 実はこの画像は正面から撮影したものではありません。地蔵菩薩の視線が少し下に向いていませんか?そう、これはお参りした人から見える角度のお顔なんです。参拝者の視線と地蔵菩薩の視線ががっちりと合わさるというもの。
 目だけでなく大きてピカッと光る眉間の白毫(びゃくごう)も見逃せません。白毫とは白くて長い毛をくるくると巻いたもので、水晶で表現されています。
 地蔵菩薩は自らが代わりとなって苦しむ人々を救う仏様で、この地蔵菩薩も、救って欲しいと思う人々の思いが形となったのでしょう。きっと心のより所になっていたはずです。
 人々に愛されたことを示すように、地蔵菩薩には子どもの姿になって農作業を手伝ったという伝説が残されています。

解説

 地蔵菩薩は忉利天上に住し、釈迦如来の命を受けて毎朝禅定に入り、衆生の根機を観察し、釈迦入滅後は六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道)を巡って天上界から地獄までの間の一切衆生を教化する。観音と同様現世利益の仏で、物事に忍耐強く大地のように強い決断力を持っていることから地蔵といわれる。
 円い顔をし、新月のような、いわゆる地蔵眉のやさしい童子姿の地蔵尊は延命地蔵とよばれ、外に子育地蔵・子安地蔵があり童子とは関係が深い。
 長隆寺の地蔵菩薩は右手に錫杖、左手に宝珠をかかげもち、身には袈裟・衣・裳をまとって蓮華座に立ち、金色の舟形光背を負う像で、いわゆる声聞形である。肉身部には漆箔を施し、着衣には極彩色と截金で文様を描くが、これらはいずれも新補である。
 本像は檜材、寄木造り、内刳を施し、玉眼を嵌入し、白毫に水晶をはめる。木寄せは厚い漆箔と彩色とによって明確でない。着衣は厚着で重苦しく、衣文のさばきも繁雑となり、全体に太づくりである。制作はおそらく南北朝時代に入ってからと思われる。持物の錫杖には「大地蔵菩薩 長友之村、本願行海十穀、造工源十郎、永禄十二年(一五六九)六月一日」の刻銘がある。
 鎌倉の円覚寺長老から贈られたと伝えられ、磐城平藩主・内藤義孝は本像を一時平城に移したが、貞享3年(1686)7月に返還した記録がある。また、この地蔵菩薩が童子の姿となり、田の代かきを手伝ったという鼻取り地蔵の伝説が残っている。
指定区分
国指定
種別
重要文化財(彫刻)
住所
いわき市四倉町長友大宮作
施設名
長隆寺
指定年月日
明治40年5月27日

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